しまのま
生活と文化とわたし

新しい家の棟上げの時や店舗が新しくできた時など、祝いの席に島では黒糖焼酎の一升瓶を二本結んだものをたずさえていく。
島の行事などで叩かれるチヂンと呼ばれる太鼓がある。この太鼓のタガを締める際には、口に含んだ黒糖焼酎を霧状にして吹きかける。
黒糖焼酎は、昔から島の文化や生活になくてはならない存在だ。

黒糖焼酎を頂いた側は、家の床下や倉庫の奥に貯蔵しておき、何かのお祝いの際にそれを出して飲む。栓がしっかりしていて日光の当たらない涼しいところに置いてあれば、黒糖焼酎は長期保存が可能で瓶熟成が進み美味しくなる。
とても使い勝手の良いお酒でもあるのだ。

今回は、黒糖を主原料として作られる黒糖焼酎と島の暮らしについて探っていこう。

黒糖焼酎の歴史

黒糖焼酎はいつごろから奄美群島で作られていたのだろうか?

記録としては文政十三年(1830年)に実施された奄美大島、喜界島、徳之島に対する薩摩藩の「黒糖の専売制」の中に焼酎蒸留用の「コシキつぶる」という装置の封印という項目があるので、既にそのころには蒸留酒が作られ、飲まれていたということだろう。

奄美博物館蔵 南島雑話より

嘉永三年(1850年)から奄美大島に5年間流刑になっていた名越左源太(なごやさげんた)が記録した『南島雑話』の中に、「焼酎製法之事」という章がある。そこには当時様々な材料で作られていた焼酎の作り方が書いてある。百合の根を麹にしたり、米の麹にキイチゴや桑の実を入れて蒸留したり、昔から人々は焼酎を作って楽しむことにかなり執着していた様子がわかる。その中に「留汁焼酎とて砂糖きびを清ましたる汁を焼酎に入ることあり。至って結構なり。」と、さとうきびも使っていたことが書かれている。
その後も焼酎は各家庭や集落で自家用に作られていた。

そして時を経て大正11年、川崎タミが奄美大島で初めての酒蔵「弥生焼酎醸造所」を創業する。その後いくつかの蔵が創業し、商業化した酒造りが奄美群島でも始まった。その頃は泡盛と黒糖焼酎の併売であったようだ。
昭和20年代になると、各蔵で本格的に黒糖焼酎のみの製造が始まった。

黒糖焼酎が奄美でしか作られない背景

本格焼酎は、単式蒸留焼酎免許を持っていれば規定された様々な原料を用いて全国のどこでも作る事ができる。

ただし黒糖焼酎だけは例外だ。黒糖焼酎は奄美群島でしか製造することができない。原料で地域が限定されているのは黒糖焼酎だけなのだ。

第二次世界大戦後、奄美群島以南は米軍の統治下に置かれた。米軍統治下では自家用酒の製造が禁止になり、酒蔵だけが酒を作れるようになった。

昭和28年(1953年)に奄美群島が日本復帰を果たすと、当時の日本の酒税法では糖質原料を使ったものはスピリッツの中のラムという扱いになり、高い税がかかった。
そこで奄美の酒造組合が陳情を行い、「米麹を併用すること、地域は奄美群島内に限ること」を条件に焼酎としての製造が認められることになった。

こうして、奄美群島だけで黒糖焼酎が造られるようになったのだ。

黒糖焼酎の製造工程

黒糖焼酎の作り方を知りたくて、奄美最古の焼酎蔵「弥生焼酎醸造所」を訪ねた。

黒糖焼酎は他の焼酎の一般的な作り方と同じで、二次掛け製法で作る。この二次掛けというのは、一次モロミと、そこに主原料である黒糖を溶解した液を加えた二次モロミを作ることから、そう呼ばれている。二次モロミを蒸留すると焼酎が出来上がる。

まず、一次モロミ。白米を洗米して水に浸け、そのあと蒸して蒸し米を作る。その蒸した米に麹をふりかけ、適温に保ち米麹を作る。これにより麹が米のでんぷんを餌に糖分を作るのである。

その米麹を仕込み水と酵母が入ったカメに入れてモロミを作る。すると今度は酵母が糖分を分解してアルコールを作る。この段階で度数の弱いアルコールが出来上がる。酵母は糖分を食べつくして、活動が弱まる。

そのモロミをタンクに移し、黒糖を溶かして入れる。これが二次モロミとなる。
すると、酵母は黒糖の糖分を分解して活動が高まり、アルコールを作り出す。

これを蒸留すると黒糖焼酎が出来上がる。
蒸留することで、黒糖の香りは残るが糖分はゼロになる。甘い豊かな香りとすっきりとした味わいが特長だ。

弥生焼酎醸造所と酒蔵見学

弥生焼酎醸造所では、この製造工程を見学することができる。(予約制)
仕込みには時期があるので、仕込みの様子が見られるかどうかは時期によるが、見学は一年中可能。
雨が降っても見学に影響はないので、雨の日に見学するのもおすすめだ。

仕込みの様子

案内してくれるのは、四代目社長の川崎 洋之(かわさき ひろゆき)さん。

杜氏でもある川崎さんは、弥生焼酎の原点である伝統的な酒造りをしつつも、より良い焼酎造りに向けて非常に熱心に研究している。

「黒糖焼酎は毎回作るたびに違うものが出来上がるのが面白いですね。うちではさらに仕込みの段階のなかで1点だけ条件を変えては検証することを繰り返し、何がどのように影響するのか、緻密な記録を取りながら新しい味を開発しています。」

社長の川崎 洋之さん

杜氏ならではの苦労話などをざっくばらんに話してもらえるのも、川崎さんならではだ。

沖縄の4つの島(波照間島・多良間島・西表島・与那国島)の黒糖をそれぞれ使って仕込んだ焼酎もシリーズで売り出した。
「黒糖によって出来上がる焼酎の味が変わってくるので、ぜひ飲み比べてみて欲しいです。」と川崎さん。

酒蔵見学に行くと、弥生焼酎醸造所のすべての銘柄の焼酎が試飲できるのもおすすめのポイントだ。
黒糖焼酎の製造に関する興味深い話をいろいろ聞きながら飲むと、味わいがさらに深く感じられるから不思議だ。ここにしかないレアなものもあり、気に入った焼酎はその場で購入できる。

ぜひ水を持参して、それぞれの焼酎の味や香りの違いをとことん味わってみて欲しい。

ちなみに見学は予約制なので、必ず事前予約のうえ見学してみよう。

人気銘柄「まんこい」を熟成中の樽

島での飲み方

黒糖焼酎は、基本は水割りかお湯割りにして飲む。自分の好きな濃さにして飲めるのが良いところだ。

島外のバーなどで焼酎の水割りを飲むと、4~5倍に薄めたものが多いようだ。一方、島にはお酒に強い人が多く、島での水割りはだいたい2倍からスタート。それより薄いと「薄い!味がしない!」と言われることは必至だ。そこから宴が盛り上がるにつれ、お代わりの焼酎はどんどん濃くなっていく。

島の人は大好きな黒糖焼酎だが、奄美群島以外ではまだまだ知らない人が多い。
そこで、弥生焼酎醸造所の川崎さんは日本全国に出向いて、黒糖焼酎の魅力をを伝えている。

「たくさんの人に黒糖焼酎のおいしさを知って欲しい。今日は黒糖焼酎を飲もう、と飲みたいお酒のラインナップに普通に入ってくれるようになったらいいと思っています。」

そのために、新しい飲み方なども島内島外問わず提案しているそうだ。

特に、弥生焼酎醸造所の樽熟成の「まんこい」を使ったレモンサワーは「日本一のレモンサワー」として日本全国で有名になった。

わたしも「日本一のレモンサワー」を時々自分で作って飲んでいるが、おいしくて止まらなくなる。焼酎を飲み慣れていない人にもおすすめだ。

日本一のレモンサワーの作り方はこちら

パッションフルーツの季節になると、パッションフルーツを使ってカクテルのように飲む人も多い。

黒糖焼酎のロックや水割りにパッションフルーツをトッピング。あるいはパッションフルーツの上辺をカットして中に焼酎を注ぎ、そのままパッションフルーツから飲むのも、その時期ならではだ。

黒糖焼酎はすっきりしているので、湿度が高めな島の気候にとても合っていると私は思う。

奄美大島に来たら、店にもたくさんの銘柄があるので、ぜひいろいろな黒糖焼酎を飲んでみて欲しい。

弥生焼酎醸造所
住所:鹿児島県奄美市名瀬小浜町15-3
TEL:0997-52-1205
営業時間:8:00-17:00
定休日:日曜祝日、土曜日不定休
HP:https://www.kokuto-shouchu.co.jp/
酒蔵見学は完全予約制
1人 1,000円(税込)
メール、電話、SNSにて予約受付

勝 朝子

東京出身。2012年から奄美大島と神奈川県湘南エリアとの二拠点居住。 島ではWebライター、Webサイト制作&運営、IT関連サポート、本場奄美大島紬のポケットチーフ「Fixpon奄美」を企画運営しています。 趣味はサーフィン、シュノーケリング、旅行、おいしいものを楽しむこと。奄美黒糖焼酎語り部第88号。 奄美の自然・文化・人が大好きで、島の隅々まで探索中です。

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