しまのま
生活と文化とわたし

奄美大島の伝統の織物、大島紬。木の煮汁と泥という自然の成分によって生み出された深みのある美しい黒。その糸で織りあげられた、緻密で精巧な柄が美しい織物の芸術品。大島紬は世界三大織物の一つと言われている。

着てみると軽くて暖かく、丈夫でしわになりにくい。高価ではあるが着心地が良くシックな大島紬は、和装ファンの中では「一枚は揃えていたい」憧れの着物だ。

(写真提供:興紬商店)

しかしながら全国的な着物離れの影響は大きく、現在大島紬の生産は全盛期の1%程度にまで落ち込み、職人の高齢化が進むなど、伝統の継続に向けて見通しは晴れやかとは言い難い。
奄美が生み出した至高の絹織物「大島紬」を次の世代に残したい。そんな情熱を胸に、新たな大島紬の魅力を引き出す新商品開発や、職人の待遇改善にと汗を流す二人がいる。興紬商店の興 辰雄(おき たつお)さんと興 ほずみ(おき ほずみ)さんのご夫婦だ。

 

大島紬ができるまで

大島紬は非常に高価な商品だ。高級なイタリア製生地よりも高い。その理由は製法にある。
大島紬の緻密な模様は、設計図に従って正確に糸を染め、細かいズレを修正しながら織るという特殊な製法で実現される。

正確に糸を染めるためには、染めない部分をいったん強く締めて織る「締め機(しめばた)」という工程があり、織ったものを染めた後、再びほどいて糸にするのだ。

(写真提供:興紬商店)

また、染める工程では、シャリンバイという木のチップを煮出して発酵させた液と泥田での染めを80回以上繰り返すことによって美しい黒色を出している。

(写真提供:興紬商店)

このような製造工程は全部で約30~40もあり、それぞれの工程が熟練の技を必要とするため、専門の職人による分業制をとっている。

大島紬は、企画から完成まで数か月かかってやっと1反出来上がるのだ。

 

島の生活と大島紬

島の結婚式は独特だ。300~400人もの人を呼んで大規模な結婚式を行うことが通例で、新郎新婦の友人らで作られた実行委員会が取り仕切る。

ほずみさんによると、30年ほど前から結婚式に女性たちが紬を着用して出席するようになったそうだ。一般に紬はカジュアルな着物なので正式な式典に着て行くことはできないと言われる。しかし地元の伝統の着物は、いわば民族衣装。ドレスコード上もマナー違反にはならない。

大島紬が島の産業を支えていた時代もあり、主催者が「紬を持っている人は着て来てください」と呼びかけることもあるという。

(写真提供:興紬商店)

以前は家で織工をしていた女性も非常に多く、娘が嫁に行くときに母が紬を織って持たせるということも多かったのだそうだ。
また、嫁入りの結納返しとして、未来の旦那様に男性用の紬を贈るということも多かったという。一生の記念に大島紬を、というのはとても素敵な習慣だ。

 

興紬商店の挑戦

興さん夫婦が興紬商店を創業したのは、紬がこのように島の人の生活と関わりが深かった昭和56年だった。

辰雄さんのお父さんは、大島紬の製造工程の一つである「糊張り」の仕事を、ほずみさんのお父さんは郵便局の仕事をしながら紬製造の仕事も行ない、お母さんは機織りをしていたというのも、2人が紬の道に進むきっかけとなったのだろう。

ところが、創業した頃の昭和59年までは26万反あった生産反数は4年後の63年には16万反、9年後の平成5年には8万反と急激に落ち込む。(最盛期の昭和47年は約30万反、直近の令和3年は3,290反)

もともと、紬は相場(市場のようなもの)に出して、そこに問屋が買付けに来るというのが一般的な流通ルートだった。相場では、紬の値段はデザインや品質に関係なくマルキの数(柄の細かさの単位)で値段が決まっていた。柄が細かいほうが手間がかかるので、マルキ数の高いものは高く買い取ってもらえたのだ。

しかし辰雄さんは、マルキ数だけにこだわる製品づくりには納得がいかなかった。マルキ数にかかわらずデザインや品質の良いものを作って、それを正当に評価された価格で売りたいと思った。そこで、相場を通さず、問屋さんから直接受注を受けて販売してみた。

(写真提供:興紬商店)

問屋からの納期をきっちり守り、妥協のない品質のものを納めていくうちに、問屋からの信用を得られるようになった。また、他の業者がやっていなかった直接販売も始めた。そのような努力の積み重ねで、工賃を上げて織工の仕事を守ることができるようになってきた。

品質を落とさず伝統を守り「他所がやっていないことをやる」という挑戦を続けてきた興紬商店。
「色がうまく出なかったり、これはいける!と思って企画した商品が全く売れなかったりと、失敗も結構あるのよ。」と明るくほずみさんは笑っていた。

大島紬という産業を未来に向けて継続させたい、そのためには職人を守りたい、という辰雄さんとほずみさんの心意気を私は感じた。

 

若者と大島紬

奄美市では昭和53年に「1月5日を紬の日」と定め、以来毎年「紬の日には紬を着ましょう」と市民に呼びかけている。ちょうどその頃に成人式が行なわれることから、奄美大島では紬を成人式に紬を着る若者が年々多くなってきている。

2022年度の成人式では、奄美市笠利町で大島紬の着用率が88.6%、龍郷町では70.6%にのぼっている。これは奄美大島内でも特に北大島が高く、奄美群島全体の着用率は19.0%ということを考えても驚異的だ。

(写真提供:興紬商店)

北大島では、学生に向けて着付け体験など、紬の着用を促進する施策もいろいろあったことで、紬に興味をもつ若者が増えてきたのかもしれない。

「以前よりも、紬を着たい、という若い子が増えてきているわね。」とほずみさんは言う。高価なものなので、一生ものとして成人式用に購入する人が多い。が、着せたい親と着たい子どもで欲しいものが違って、なかなか決まらないのも微笑ましい光景だ。

 

これからの夢

大島紬の職人は、高い技能を習得する必要があるが高収入には結びつかないことから、職人は減り続けている。特に、カラフルな色を途中で刷り込む職人がいなくなってきている。そのため「将来的には色を入れた大島紬を作るのは難しいだろう」と辰雄さんは思っているそうだ。そのため、今度はモノトーンの泥染めの新しいデザインを考案中だ。

織工に関しては、奄美市に2か所の織工養成所もあるので、目指す人に門戸は開かれている。だが工賃が安いのが悩みの種だ。「紬を織りたいと養成所にやってくる若者を、もっと紬で稼げるようにしてあげたい」と辰雄さんは言う。

(写真提供:興紬商店)

機織り中のものを見て気に入ると、それが織りあがるのを待って買う大島紬ファンもいるそうだ。「夢は、これからの織工には、そういう指名買いされる作家のような職人になってほしい、と思っているんだ」そう辰雄さんは語っていた。

(写真提供:興紬商店)

大島紬だけでなく、全国各地、いや全世界的に伝統工芸の生き残りは厳しいといわれている。私たちの身の回りにある工業製品は毎年のようにリニューアルを繰り返し、ヒット商品が出ては消えていく。そんな中、絶えず時代に応じて提案しながら大島紬を未来につなげていく、そんなお二人の姿は輝いていた。

有限会社興紬商店
住所:〒894-0106 鹿児島県大島郡龍郷町中勝812
TEL:0997-62-2178
HP:https://okitsumugi.com/
営業時間:9:00~18:00(年中無休)
駐車場:あり

勝 朝子

東京出身。2012年から奄美大島と神奈川県湘南エリアとの二拠点居住。 島ではWebライター、Webサイト制作&運営、IT関連サポート、本場奄美大島紬のポケットチーフ「Fixpon奄美」を企画運営しています。 趣味はサーフィン、シュノーケリング、旅行、おいしいものを楽しむこと。奄美黒糖焼酎語り部第88号。 奄美の自然・文化・人が大好きで、島の隅々まで探索中です。

執筆記事一覧