焼けつくような日差しの暑い夏が過ぎ、少しずつ空気が涼しく和らいでくるころ。つかの間の秋は、島人にとって「忙しい」季節です。アラセツ 、シバサシ、ドゥンガ、豊年祭、八月踊り……次々とやってくるシマ行事は、生活に根差した大切な儀式であり、かつ島暮らしを彩る楽しみでもあります。行事は地域差があるため、今回は私が住んでいる大和村を中心にお話しします。
旧暦で行われる奄美の伝統行事
奄美の伝統行事は旧暦で行われることが多いです。旧暦とは、明治5年から現在にまで使われている太陽暦の以前に使用されていた「太陰太陽暦」と呼ばれるもの。月の満ち欠けが主な基準なので、1年は354日。3年に1度の割合で、1年が13ヶ月になるうるう年がやってきます。だから、奄美の三月節句や七夕などはカレンダー通りに行われていません。お盆期間は新暦で仕事が休みにならないですが、旧暦でも休みにならないので、少し損した気持ちになります。
ミハチガツが行われる時期
ミハチガツというのは、奄美大島で旧暦の八月に行われる行事です。アラセツ、シバサシ、ドゥンガの3つのお祭りがあり、新暦ではだいたい9〜10月に行われることが多いでしょうか。
まず、アラセツは旧暦8月の一番最初の丙(ひのえ)の日となります。甲、乙、丙、丁などで暦を表す十干(じっかん)が目安になっているのですね。ちなみにシバサシは、アラセツから7日目の壬(みずのえ)になります。
さらに暦には十干に干支(えと)が加わります。3つ目のお祭りドゥンガは、十干の甲(きのえ)に、干支の子が重なった甲子の日に行われます。
普段から旧暦を意識している人は少ないですが、ご先祖様たちから続くこの暦を意識して伝統行事を行っています。
ミハチガツって何するの?
一番初めに行われるアラセツは「新しい節」と書きます。稲の収穫が終わり、恵みに感謝し、次の豊作を祈るお祭りとも、火の神を祀り火事から家を守るともいわれています。きっと昔は農作業がひと段落して食べ物がたくさんある時期を喜んだ季節だったと想像しています。
スカリやツカリと呼ばれる前日には、ご馳走を作ったり、ミキを仕込んだり、大忙し。そしてアラセツの当日をマツリビ、翌日をナーチャビと呼び、これらの夜は集落内の家をまわって八月踊りを踊るヤーマワリが行われていました。現在、ヤーマワリは行われておらず、公民館で八月踊りを踊る集落がある程度ですが、年配の方々に聞くと、それは楽しかったとおっしゃいます。
シバサシは土の祭りといわれています。家の屋根などの四隅にシバ=ススキを刺し、悪霊を祓うことからシバサシという名前になったようです。こちらも以前はヤーマワリをしていたそうですが、現在では公民館や数カ所でのみ踊る集落があるようです。
ドゥンガは先祖祭りといわれています。前日にお墓掃除をして、当日は早朝から正装でお墓参りに向かいます。親戚中のお墓参りをして、家で来客をもてなしたり、ご馳走を食べたりのんびりする日。そしてまた忙しい日常への英気を養うのでしょうね。
秋の楽しみはやっぱり八月踊り
私は奄美に移住して2021年で5年になります。ミハチガツと集落の秋祭り的イベントである豊年祭がいかに島の人にとって大切なものか少しずつ分かってきました。その中で欠かせない踊り「八月踊り」は独特です。
八月踊りは、歌を歌いながら踊ります。伴奏はチヂンという太鼓だけ。集落によって男性が叩いたり、女性が叩いたり、特に決まっていなかったりします。歌は男女の掛け合いで、何番もある歌を数曲歌います。
歌詞は昔の島の方言なので、初めは全く意味がわかりませんでした。集落によって曲やメロディが少しずつ違い、多いところでは10曲以上もある(残っている)ので覚えるのも一苦労です。踊りは繰り返しが多いので、覚えれば簡単ですが、歌いながらとなるとなかなか困難。しかし、慣れてきて余裕が出てくると、夜の薄明かりの中、お酒を飲みながら歌って踊るという行為はとっても楽しいことだと気づきます。ディスコやクラブにつながるような、陶酔感。浴衣姿のお姉さん、お兄さん方が素敵に見えてくるのです。
昔は男女の出会いもあまりなかったでしょうから、この八月踊りは出会いの場でもあるダンスパーティーの様な感じだったのではと思っています。
最後の八月踊りはドゥンガ
先日、大和村の戸円という集落に住む91歳の朝山さんとお話しする機会がありました。朝山さんは足を怪我してドゥンガにお墓参りへ行くことができなかったというので、車に乗せて一緒に海辺の墓地へ。かつて奄美が土葬をしていたころ、ドゥンガは大切な「改葬」の日でした。
改葬とは、亡くなった人を入れた棺桶を土に埋めて、6年ほど経過した頃に掘り起こし、骨壷に入れ直しお墓に再度埋葬すること。沖縄では洗骨ともいうそうです。
朝山さんも子どもの頃に亡くなったお姉さんの改葬に立ち会ったことがあり、掘り起こされた棺桶の中でキレイに結った髪がそのまま残っていたことに驚いたという話をしてくれました。そして朝から塩ブタと野菜の煮物を作り、親戚をもてなしたり、夜更けまで八月踊りを踊ったりしたことを教えてくれました。ドゥンガの八月踊りは死者の霊を慰めるという意味もあるようです。
墓地に着くと、朝山さんはいくつものお墓に線香を立てていました。親戚のお墓がたくさんあり、その全てを拝んで行くのだそうです。「海が見えていいところじゃが」と満足したように帰られました。
奄美の人の心とミハチガツ
これまでお話した通り、奄美の秋の行事は農作物の収穫を喜び祝うこと、祖霊を迎え拝むことが中心です。時代が変わって、行事の形は少しずつ変化して行くと思いますが、この行事の意味というのはずっと奄美の人々の心の中にあるはずだと思っています。
来年の秋も楽しみです!