しまのま
生活と文化とわたし

春から夏にかけて、島っちゅが毎年楽しみにしているものがある。「舟(ふな)こぎ競争」だ。舟こぎ競争は集落行事「浜下れ(ハマオレ)」や、各地域の夏祭りで行われる。中でも8月の「奄美祭り」で行われる舟こぎ競争は最大で、島じゅうが熱くなる一大イベント。奄美祭りの舟こぎ競争に出場する人は、数か月前から練習を続けるほどの気合の入れようだ。

この舟こぎ競争に使われるのは「アイノコ舟」と呼ばれる伝統的な木造船。これを作れるのは、いまや奄美群島でただひとりの船大工となった、坪山船大工店の坪山良一(つぼやま りょういち)さんだ。

奄美で生まれたアイノコ舟

奄美市名瀬の知名瀬(ちなせ)という集落にある良一さんの大工小屋を訪ねてみた。まずは、アイノコ舟の歴史をうかがった。

もともと、奄美大島では「イタツケ」という木造船を漁業に使っていたのだそうだ。イタツケは速くは進めないが船底が平らで安定している。波の静かな近海の漁場に適した舟。

そこに、沖縄から奄美にきた漁師たちによって「サバニ」という木造船が伝えられた。サバニは外洋の波がある海域をぐいぐい速く進むのに適している舟。ただ船底が尖っているのでゆっくり走ると転覆しやすいのだそうだ。

このイタツケとサバニの両方の長所を活かした舟を、大正時代に舟大工の海老原万吉(えびはら まんきち)さんが開発した。安定して速く進める、まさに文字通り「アイノコ舟」だ。アイノコ舟は、その性能でたちまち島じゅうの漁師の間でブームになった。

なんともドラマチックな開発秘話だ。

写真提供:水間忠秀さん

ちょうどその頃、良一さんのお父さんで唄者としても有名な坪山 豊(つぼやま ゆたか)さんが、万吉さんに弟子入りしてアイノコ舟の製法技術を学んだのだそうだ。

父の技を後世に残すためにUターン

豊さんは、その後、万吉さんのところを独立して「坪山造船所」を立ち上げた。良一さんは中学、高校時代から豊さんの造船所で舟づくりを手伝ってお小遣いをもらっていたのだそうだ。そのまま豊さんを手伝うのかと思いきや、仕事は継がず、東京に出て建築関係の仕事をすることに。

あるとき、母親の病気を機に久しぶりに良一さんは島に帰った。普段は口数が少なく息子の進路には口を出さない豊さんが、そのとき良一さんにボソッと言った。「自分の技術を継いでくれないか。」
自分が今、島に帰らなくては島の木造船の技術が途絶えてしまう。そう思った良一さんは、1993年の11月、29歳で島に帰ってきた。

そこから豊さんと良一さんのアイノコ舟づくりの仕事が始まった。手伝いの職人さんもかかえながら、2人で多くのアイノコ舟を作ったそうだ。

ところが、しばらくすると舟は大型化し、FRP船が主流となっていった。漁業も近海から外洋が主流となり、漁業のスタイルが大きく様変わりしていった。
人々の生活も、地元の漁師が獲った魚を魚屋さんで買うという買い物のスタイルから、全国から仕入れた魚をスーパーマーケットで買うというスタイルへと変わっていった。

奄美のお祭りに欠かせない舟こぎ競争

こうして漁業用のアイノコ舟が姿を消し、現在でも残るアイノコ舟は、奄美の集落行事やお祭りで欠かせない「舟こぎ競争」用の舟だけになった。
レースでは、勝負の優劣を舟が決めてしまわないよう、どの舟も同一の規格で作ってある。

私は以前、奄美市名瀬矢之脇(やのわき)町にあった工場を訪れてアイノコ舟の制作過程を拝見させていただいたことがある。
釘を1本も使わず、側面は一枚の板を湾曲させて作るアイノコ舟は、様々な技術の積み重ねで出来ている。まっすぐな板がテンションをかけることで見事に舟の一部となるのだ。無理をすると一気に亀裂が入るので真剣勝負だ。
美しいフォルムのアイノコ舟には、まさに高度な技術と芸術が同居していた。

写真提供:水間忠秀さん

サーフスキー作りへの新たな挑戦

奄美大島では、毎年7月初旬に「奄美シーカヤックマラソンIN加計呂麻(かけろま)大会」が瀬戸内(せとうち)町で行われている。これは国内で最大と言われている大会だ。その大会も実は参加者の半分は島っちゅ。やはり舟こぎ競争で鍛えた血が騒ぐのだ。

ある日、シーカヤックマラソンで使われている競技用カヌーの修理依頼が入った。修理が終わった後、造船所の手伝いをしていた白畑 瞬(しらはた しゅん)という青年が、「良一アニ、修理後の確認も兼ねて、自分たちで乗ってみたほうがいいですよ。」と言い出した。

白畑 瞬さんは奄美大島出身で、今や競技用の高速カヌー「サーフスキー」のアジアチャンピオンだ。だがまだその当時、カヌーに乗ったことはなかった。

「じゃあ、まず自分が乗ってきます。」と、瞬さんがパドルの使い方もわからぬまま、恐る恐る海にこぎ出した。すぐ近くの三角浜まで漕いでみるはずだったが、みるみる遠くまで漕いで行き、三角浜を通り越して遠く沖合の立神を一周して帰ってきた。
帰ってくるなり言った。「良一アニ、やばいっす。」「海と一つになりました。」

続いて乗った良一さんも、すっかり競技用カヌーの虜になってしまった。そこで「一から自分たちで高速艇を作ってみよう」と2人のサーフスキー作りが始まった。
せっかくなら木造船作りの技術を活かそうと、木で釘も使わずサーフスキーを作り上げることに。設計図作りには、父、豊さんも協力した。

そうやって試行錯誤しながら出来上がった木製のサーフスキーの出来は素晴らしかった。乗り心地もよくスピードも出て、すぐに注目を浴びた。
その噂は競技に参加するプロたちの耳にも入り、今度はFRP製でのサーフスキーのオーダーも入るようになった。

今では、良一さんの作る舟のブランド「SCOFITS(スコフィッツ)」のサーフスキーは上位入賞者の使用艇として人気があるが、こんな物語があったとは知らなかった。

さらに、良一さんは、オリンピック・パラリンピックの公式競技用カナディアンカヌーも作っている。オリンピック・パラリンピックで使えるカヌーの基準は世界の中で日本が一番厳しいと言われるが、その基準をクリアしたのは、なんと良一さんただ一人なのだそうだ。
つまり、奄美の伝統技法で良一さんの作るカナディアンカヌーはどこの国の選手も使うことができる品質なのだ!スゴイ!

これからの技能伝承にかける想い

「舟作りをしてみたいという若者には、技術を伝えていきたい。」「自分が教わってきたようにしか教えられないから、手伝いながら技術を盗むという伝え方になると思うけどね。」と明るく話す良一さん。今も地元の青年が一人弟子入りに来ているという。

ただし、技能伝承できるのは実際に新しく舟を作る時だけ。今はその受注が無い。受注が入るまでは、漁船などの修理を一人で行っている。

これまで大きな病気もしてきたので、なんとか自分が元気なうちに弟子を育て、アイノコ舟の技能伝承ができれば、と良一さんは言う。

奄美の伝統文化である舟こぎ競争を後世に残すためにも「坪山舟大工店」は、これからも車の塗装や修理、サーフボードのリペアから装飾の仕事までいろんな仕事をこなす島の働き方のスタイルでアイノコ舟作りを続けていく。そんな意気込みを良一さんは語ってくれた。

坪山船大工店
SCOFITS 坪山船大工店 知名瀬工房

住所:鹿児島県 奄美市名瀬知名瀬2570
TEL:050-3578-4591
HP:http://scofits.com/

勝 朝子

東京出身。2012年から奄美大島と神奈川県湘南エリアとの二拠点居住。 島ではWebライター、Webサイト制作&運営、IT関連サポート、本場奄美大島紬のポケットチーフ「Fixpon奄美」を企画運営しています。 趣味はサーフィン、シュノーケリング、旅行、おいしいものを楽しむこと。奄美黒糖焼酎語り部第88号。 奄美の自然・文化・人が大好きで、島の隅々まで探索中です。

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