「節や水車 めぐりあゆるとも なきゃまま節ぬ ありがしゃよろ」
(時節や水車は回って来るが、あなたと逢えるときはくるのだろうか)
三味線を弾きながら、地声と裏声を巧みに使って唄う奄美大島の民謡「島唄」。
楽譜はなく、耳で聴いて覚え、唄い継がれてきた。
現代においてもやはり楽譜はなく、歌詞も唄う人によって違う。いや、人どころか、その集落、その時によっても歌詞が違う。
歌というのは楽譜があって歌詞があって、それに合わせて歌うものだと思っていた私は、奄美大島に来て島唄を聴いて驚いた。
「島唄のシマというのは集落のことなんだよ。」私が奄美に暮らすようになった十年前、島唄をある場所で聴いた時に島の方に教えてもらった。
「シマ」という言葉には「集落」や「テリトリー」といった意味があり、奄美で「シマ」というと集落のことである。つまり「島唄」とは、島の歌ではなく集落の歌なのだ。
山が険しい奄美大島では昔は道路が発達しておらず、船で集落の間を行き来していたらしい。今のように、隣の集落にも簡単に行けるわけではなかった。厳しい自然環境や統治の歴史のなかで、島民は集落の中で助け合って暮らし、楽しみも苦しみも共有してきた。
現代でも集落ごとに言葉が違い、集落ごとに地域の行事も少しずつ違うなど、生活文化のいろいろな点で集落ごとの特徴が色濃く残っている。
島唄は、そういった集落の日々の生活のなかで、見聞きしたこと、起こったこと、思ったことなどを唄った唄だ。昔の言い伝えや恋歌、仕事の歌、お祝いの歌、悔やむ歌など、種類も様々あり、一説によるとその数は100曲以上とか。
日々の生活のなかで仕事や家事をしながら唄ったり、数人で集まって掛け合いで唄う遊び「唄あしび」をしたり、集落のお祭りやお祝い、弔いなどの行事のときに唄われてきた。
島唄には、いろいろな集落で歌われている有名な唄もあれば、その集落にしかない唄もある。また、有名な唄でも、集落ごとに歌詞やリズムが違っていたり、集落独特の言葉で唄われていたりする。
しかも、その場に合わせてアドリブに近い形で歌われることが多いため、同じ人が同じ唄を唄っても、その時によって歌詞や節回しが違ったりするのだ。
そんな島唄を今につなぐ活動を創業者から三代にわたって行なっているのが、奄美大島の名瀬の商店街にある楽器店「セントラル楽器」だ。社長の指宿 俊彦(いぶすき としひこ)さんにお話を伺った。
自主レーベルを製作するセントラル楽器
セントラル楽器は、現社長の俊彦さんの祖父である指宿良彦さんが1949年に創業した。
奄美の三味線、チヂン(島太鼓)からギター・オルガンまで、さまざまな楽器を取り扱っている楽器店だが、島唄のCDを自主レーベルで製作し、販売もしている。
楽器店が自主レーベルを作るというのは非常に珍しい。始めたのは祖父の良彦さんだ。
祖父の良彦さんは大の島唄好きだった。良彦さんが子どもの頃、おばあさんがよく島唄を唄っていた。それを聴くのが大好きだった良彦さんは、その島唄を再現し、残したくて島唄のレコーディングを始めた。
昔は民家にレコーダーを持って行って録音をしていたので、近くを通るバイクの音が入ってしまったり、虫の音なども入ってしまったりしたそうだ。
そんなトラブルを乗り越え、二代目、三代目と受け継ぎ、かれこれ60年あまりも自主レーベルとして島唄のレコーディングをしてきた。今まで録音した島唄は1000曲を超える。
録音した島唄はレコードとして販売していたが、さらに今後に残すために三代目の俊彦さんはすべての音源をデジタル化。CDで販売したりiTunesで世界へ発信している。
もっと島唄を楽しめる場所を増やしたい
「沖縄には、民謡を聴きながらお酒やお料理が楽しめる民謡酒場がたくさんあるのに、奄美には島唄を楽しめるお店がほんの少ししかなかったのです。
そこで、奄美にも身近に島唄を聴けるお店をもっと増やしたいと思いました。」と、俊彦さん。
沖縄の民謡酒場は、舞台芸能という趣が強い。沖縄民謡は、もともとは王様に献上する唄が多いので、そもそも舞台で歌うもの。
他方、奄美の島唄は生活の中で歌われてきた唄。しかも、掛け合いによってその場その場でアドリブで作り上げながら唄われてきた。
舞台芸能ではなく、みんなで一緒に楽しんで唄ってきたシマッチュ(島人)のアイデンティティの一つだ。
それができるお店を作りたい、と俊彦さんは同じ想いを持っていた仲間と共同経営で「島唄・島料理 まぁじん」を2019年10月にオープンさせた。
「まあじん」とは「みんなで一緒に」という意味の方言。お店の名前にも、その意味が込められている。
島唄・島料理 まぁじん
話を聞いて、「島唄・島料理 まぁじん」を訪ねてみた。
「島唄・島料理 まぁじん」は、地元の人、観光や仕事で奄美を訪れた人、奄美に里帰りしている人など、たくさんの人でにぎわっていた。若い人や外国人の旅行客もいた。
島料理は、ワンフネ(豚骨の煮物)、油そうめんなどのおなじみの島料理に加えて、ちょっと珍しいシブリ(冬瓜)の天ぷらや、鶏飯の豚版といった豚めしなどが人気らしい。
黒糖焼酎を飲みながら島料理を食べ、仲間と歓談して場が盛り上がってくる頃、唄者が登場した。
この日、島唄を唄ってくれたのは 別府 秀和(べっぷ ひでかず)さん。
三味線を弾きながら、「朝花節」「しゅんかね節」「行きゅんにゃ加那」など、初めて聴く人にもわかりやすいように解説を入れながら唄ってくれる。
この日は外国からの観光客の方も含めた2名のお客さんが、別府さんから指名されてチヂンを叩いた。別府さんがそれに合わせて唄を唄い、お店全体が一つになって盛り上がる。
島唄の唄者には、専業の歌手という人はいない。別府さんも普段は違う仕事をしている。島唄は生活の中の唄なので、舞台の上で歌って生業とするというようなものではないのだ。そのせいか、奄美の唄者はとても親しみやすく感じる。
唄者と近い距離で島唄を楽しむことができる「島唄・島料理 まぁじん」。
観光で奄美を訪れた人もぜひ、島唄のある日をお店に確認してから訪れてみて欲しい。
「島唄」と「新民謡」と「奄美歌謡」
「島唄は、この人のこの唄を聴きたい、というファンが多いんです。」
唄い方も歌詞もリズムも唄者によって違う島唄。その人でないと出せない味がある。
それを今後も引き続きレコーディングをして残していきたい、と社長の俊彦さんは言う。
島唄は変幻自在。昔ながらの古い島唄も、時代によって歌詞が変わってきたそうだ。
また、古い唄だけでなく、時代に合わせて新しい島唄も作られてきた。奄美大島や徳之島で大人気の「ワイド節」は1978年に唄者の坪山豊さんが作曲した、島唄の中では新しい唄だ。
その動きは現代でも止まることなく受け継がれている。今ある島唄よりも、もっと現代に合う新しい唄を作りたい、という動きがあるそうだ。
新たな島唄のヒット曲が出るかも知れない、と思うととても楽しみだ。
伝統的な島唄以外にも、奄美で人気のある唄がある。奄美の「新民謡」と「奄美歌謡」だ。
新民謡は大正末期から昭和初期にかけて日本全国で作られて流行した各地のご当地ソング。奄美でも奄美の音階で作った新民謡が流行した。
奄美歌謡は奄美の人が奄美を題材として作詞作曲した歌謡曲。新民謡の流れを汲むが、新民謡よりは演歌に近い。日本の他の演歌や歌謡曲とは違う奄美オリジナルの唄なので、セントラル楽器が奄美歌謡と名付けた。
年に一度、奄美歌謡の紅白歌合戦をセントラル楽器が開催しているが、毎年大人気だ。
島唄・新民謡・奄美歌謡を合わせると、200タイトル、2000曲を超える。
島唄とともに、新民謡、奄美歌謡といったシマッチュ(島人)のアイデンティティを伝える唄を今後も作り、奄美を音楽で盛り上げていきたい、と語る俊彦さんの挑戦に、これからも目が離せない。
セントラル楽器
住所:奄美市名瀬末広町1‐20
営業時間:10:00〜19:00
TEL:0997-52-0530
定休日: なし(1/1は休業)
駐車場:なし
HP https://www.simauta.net/
島唄・島料理 まぁじん
住所:奄美市名瀬柳町5-18
営業時間:17:30-23:00
TEL:0997-69-3339
定休日: 不定休
駐車場:あり
Instagram https://www.instagram.com/ma_zin518/