奄美群島のひとつ、沖永良部島。ここで味噌汁は、生活に欠かせない大切な食べ物だった。かつては各家庭で「なんどぅ」と呼ばれる場所に味噌が入ったツボが並べられており、毎年、原料のソテツの実が収穫できる秋頃に仕込まれたという。
日常的に食べられるほか、島の法事ではお膳のほかにご飯・酢の物・味噌汁が出され、それらは方言で「あしじん」と呼ばれた(集落によって呼び方が異なる場合がある)。日常食であり、故人の魂を祀るという点でも、正真正銘の「ソウルフード」とも言える。
今は流通技術も発達し、離島でも数日待てば都市部と変わらずほしいものが手に入る。選択肢が豊富な時代は好ましく思える一方、その土地で長年に渡りつむがれてきた食文化を守ることにおいては逆境だ。当たり前の「生活の一部」から守られる「文化」になりつつある。
そんな中、島の郷土料理を守りつづける女性たち「生活研究グループ」を取材した。
3~4ヶ月ごとに集まって味噌づくり
沖永良部島の和泊町にある、和泊町農産物加工センター。
その一室で、三角巾とエプロンに身を包んだ女性たちが話に華を咲かせていた。
家族の話だったり、同級生の近況だったり、昨日テレビで見たニュースだったり。ひとしきり沸いたあと、誰かが「さて、じゃあ作りますか」とポツリ。そうしてはじめたのは…
味噌づくり!
彼女たちの名前は「和泊町生活研究グループ」(以下、生活研究グループ)。作られた味噌は島内のスーパーなどの店頭に並べられる。しかし、それだけでなく、パパイヤの漬物やツワブキの佃煮などの郷土料理を作って、地産地消や食文化継承に取り組んでいる。
料理教室を開いたり、島のイベントで振る舞ったり。生活研究グループはこうして、伝統料理を活かして沖永良部島を盛り上げてきた。
しかし、3年ほど前からコロナ禍であらゆるイベントがストップ。そんな中で続けてきたのが味噌づくり。会長の大脇克子さんは、「スーパーに置いていないと、『味噌がなかったよ』『都会の味噌は塩辛いから早く作ってほしい』とたくさん連絡が来るんです」と話す。
今回は、そんな島の食文化と切り離せない味噌づくりに密着した。
1日目:麦を蒸して麹を振る
味噌の仕込みは2日がかり。発酵に時間がかかるので、連続して2日分、まとまった時間と人手が必要となる。各々の島時間で加工センターにぱらぱらと人が集ったら、作業に移る。
全国で流通している味噌の原料は米が主流だが、温暖な九州地方では米が取れにくく、麦味噌も多い。これが九州地方、鹿児島のいわゆる「いなか味噌」。
しかし、同じ鹿児島でも、本土と大きく気候が異なり塩害にも晒される沖永良部島は事情も異なる。そんな環境でもすくすく育つソテツの実(方言でヤラブー)が島では使われてきた。押し切りで固い殻から実を取り出し、砕き、毒抜きして、ようやく味噌の原料になる。
味噌以外でも、沖永良部島に限らずヤラブーは飢饉のたびに人命を救ってきた救荒食として知られる。大脇さんの話では「島でもいつの間にか麦で味噌を作るようになった」という。毒抜きなどの労力を考えれば、流通技術の発展に伴って変化していったのかもしれない。
蒸したての麦は炊きたてのご飯とはまた違った芳しい香りがする。新調した畳っぽい香り、というとおいしくなさそうだが、全然そんなことはない。腹が鳴る。小さく丸めたものをいただくと、舌で転がしムニムニと、噛み砕きプチプチと弾け、ふしぎな食感がクセになる。
蒸した麦をちらし寿司を作る要領で平らにして冷ましたら、麹を振って一日置く。
味噌づくり1日目はこれで終了。
生活研究グループのはじまり
ここで、生活研究グループについて話したい。そもそも沖永良部島や和泊町だけに限った組織ではない。
さかのぼれば1964年に発足した「生活研究改善実行グループ全国連絡研究会」(1998年に「全国生活研究グループ連絡協議会」に改称)がはじまり。つまり全国組織だったのだが、2021年度末(令和3年度末)に閉会したため現在は各都道府県による判断の連携に留まる。
和泊町の隣町、知名町には「知名町生活研究グループ」があり、隣の島の与論島には「与論町生活研究グループ」があり、この3町のグループをまとめて「沖永良部地区」と呼ぶ。
和泊町のホームページにある説明を引用すると、「農山漁村社会において、望ましい経営や働き方及びゆとりある生活の研究、知識・技術等の情報交換を行い、男女がともに参画する豊かで活力ある地域社会の実現及び農林漁業の振興に資することを目的とするグループ」。
…と書くとやや固い印象だが、要するに「地産地消」と「食文化の継承」が目的。そこで、冒頭で書いたような、料理教室やイベント、また今回の製造と販売などを行ってきた。
味噌づくりだけはコロナ禍でも続けてきたとはいえ、今回は感染拡大防止の制限が解除されて、生活研究グループとして初めての活動となるらしい。それだけに、気合いも入る。
2日目:発酵させた麦と大豆を塩と混ぜる
2日目は、主な原料となる大豆を蒸して、前日に仕込んだ麦麹と混ぜ合わせる工程。
水洗いしたツヤツヤした大豆を、
前日に活躍した蒸し器で再び蒸すと、たちまち加工場の天井まで蒸気が立ち込めた。
こちらも麦に負けず劣らずの良い匂いで、それだけでお腹がいっぱい。
蒸した大豆をミンチプロセッサーに入れて、
作業台にまんべんなく広げて冷ます、この工程を大豆の量だけ繰り返す。
まるで大豆の大海原、ふだんの台所や食卓では見られない光景だ。
この間、筆者もカメラを置いて(もちろん手を洗って)作業を手伝った。直に食材にふれながら、形を変えて完成に近づく工程を見るのはただただ楽しい。久々に数時間の立ちっぱなしの作業はデスクワーカーに堪えるが。そして最後、大海原に降ってきたものに面食らう。
これは昨日の麦に麹が振られ、専用の設備でひと晩かけて発酵したもの。軽く握れば弾けるというより爆ぜる、柔らかい発泡スチロールのようで、まるで知育玩具のようだ。それらを細かく砕いてまんべんなく大豆と混ぜていくが、この手触りは子どもも大喜びに違いない。
それぞれで混ぜ方にムラがないよう、マイムマイムのように回転しながら混ぜていく。祖母から、昔の長時間の作業には疲れを紛らわす歌が付き物だったと聞いたことがあるが、きっとこのようなリズミカルな作業もあってのことだろう。
そうして味噌はこのようにパッケージされて、店頭に並ぶ(こちらは前回作ったもの)。沖永良部島では、Aコープ和泊店で販売されるとのこと。
なお、冒頭の味噌汁の写真はこちらを使ったもの。私が作ったものなので、完成度というか見映えの方は、「ご愛嬌」ということでご理解いただきたい。
島の伝統料理を学びたいグループ員募集!
大脇さんが参加した約30年前は40人近くいたという和泊町生活研究グループも、現在は6人。味噌づくりなども含めて、その時々にグループ外から手伝ってもらっている状況だ。
以前は、島の人が島外の親戚へ物を送る習慣もあり、そのためにパパイヤの漬物などを作ってきたそうだ。しかし、コロナ禍によって調理のため集まること自体が難しくなってしまい、そんな習慣自体が止まってしまった。長く暗いトンネルを抜けようとしている今、生活研究グループは島の食文化を途絶えさせてはいけないと再び活動の火を灯そうとしている。
大脇さんに記事を読む人にメッセージをお願いすると、こう答えてくれた。
「島の農産物で、おかずにしろ漬物にしろ、昔のお菓子にしろ、地産地消で作ってみようという集まり。イベントに参加して販売したり、知名町・和泊町・与論町で料理のレシピを教え合ったりしている。興味がある人はぜひ来てください」。
和泊町生活研究グループ
お問合せ先:和泊町経済課
TEL:0997-84-3518