しまのま
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農家は全国平均の8倍!農業の島・沖永良部島

まだ温かい沖永良部島の秋、島全体が農家の活気で溢れだす。

オフモードだった夏が終わり、ブオーンという音とともに畑の上を人々が忙しく走り回り、県道にはトラクターやサンテナカゴ(※)を積んだトラックが現れはじめる。彼らの目的は、じゃがいもの植え付けだ。秋に植えて、冬から春にかけて収穫する。

※三甲株式会社が開発した網目状のカゴ。丈夫で軽く、野菜の収穫などでよく使われる。

10月中旬からじゃがいもの植え付けが開始

ニシユタカという品種のじゃがいも

じゃがいもといえば、北海道のイメージが強いだろう。実際に国内産の約8割は北海道で作られているが、気候においては真反対の印象がある鹿児島県も実は、長崎県に次いで国内3位の生産量を誇っている。

沖永良部島を代表するエラブユリ

沖永良部島の農産物には、花きやさとうきび、近年ではマンゴーなどがあるが、最も農業産出額が高いものはじゃがいもだ。1995年に鹿児島県より『かごしまブランド産地』の指定を受け、『春のささやき』として全国に出荷されるようになった。

ブランド産地に指定されるには、生産量が全国トップクラスであることや、品質評価が高いことなどが必要で、それだけ島のじゃがいも栽培が盛んであることが分かる。高品質の理由は、ミネラルが豊富な赤土にあるといわれている。

島の畑の土はきれいな赤茶色をしており、眺めるだけでも楽しい。

沖永良部島は今でこそ「農業の島」と呼ばれているが、70万年前にサンゴ礁が隆起してできた島のため、以前は土を掘るとサンゴの化石ばかりだったそうだ。島の農地は、祖先が苦労して改良を繰り返し、作物が育つようにと願いを込めて作った努力の結晶であることも忘れてはいけない。

ともに85歳・現役農家の祖父母がじゃがいも収穫中

また、やや古いデータになるが、2005年の国勢調査(※)では、沖永良部島の農業就業者は人口の33%という結果に。全国平均が4%だと聞けば、その農業人口の多さが伝わるだろう。

※九州農政局(沖永良部島の農業):https://www.maff.go.jp/kyusyu/seibibu/kokuei/15/agriculture/index.html

これほどまでに沖永良部島が「農業の島」であるのには、平坦地が多く、ハブも出ず、農業に専念しやすい環境であることが大きな理由といわれている。

それ以外にも農業人口が多い理由に、農業の収入のみで生計を立てている専業農家だけではなく、農業以外の収入がある兼業農家も多いことがある。平日は農業以外の仕事をして、休日だけ農作業をするため、休む暇なく働いている人も少なくない。引き継いだ畑を荒れ地にせずに、ありがたく使いたいという、先祖を大事にする島民性のあらわれだろう。

都会の外資系企業から、離島の農家へ

自己紹介が遅れたが、私の名前は穐田恵里。沖永良部島でじゃがいもと里芋を栽培している穐田(あきた)農園を営む、農家の嫁だ。

長年勤めた外資系金融企業を退職し心機一転、2021年に初めてじゃがいもの農業バイトで沖永良部島の土を踏み、農業を経験した。それまでは、事務職として外資系企業のコンプライアンス推進や監査、新入社員の育成に携わり、目まぐるしく時間が過ぎていたため、退職を機に「自然の中で身体を使った仕事をしてみたい」と思ったのがきっかけだった。

左が私。東京研修の帰りに友人とイルミネーションを楽しむ様子

「農業なんて、安い給料で奴隷みたいに扱われるよ」「わざわざ、しんどい思いをしに新興国のような島に行く必要あるの?関西圏でも農家はいるよ」と、農業バイトへ行くため地元を旅立つ前に周りの人からたくさん心配をされた。

私自身も、体力仕事をしたことがなかったので、しんどくて1日で嫌になり帰ることになるかもしれないし、チェーン店のない田舎でどうやって生活しているのかという不安はあった。しかし今では、「沖永良部島で農業に出合って人生観が変わった」とはっきり言える。

大阪で生まれ育ち、大都会で会社員をしていた私にとって、農業バイトをはじめた頃、島で目に飛び込んでくる空・緑・海、すべての景色が美しかった。会社員時代は、ビルで遮られる空や、視界は人で溢れていて、情報が飛び交う中で生活していた。それだけに、手つかずの大自然が多く残っているこの島に心を奪われたのだ。

何より大きかったのは、農家さんとの出会い。私がお世話になった『皆村農園』の代表の皆村正樹さんの、いつも目をキラキラと輝かせながら楽しそうに農業をする姿を見て、農家のイメージがガラッと変わった。スーパーに並んでいるじゃがいもしか知らなかった私は、畑で手に取るじゃがいもの美しさに驚き、食べると土の臭みがなく美味しくてさらに驚いた。

皆村農園で農業バイトをした2021年春。一番右にいる方が皆村さん

田舎で食べ物に触れて働くことの楽しさに味を占めた私は、沖永良部島でさとうきび・マンゴー・葉たばこの農作業、北海道の利尻島で養殖昆布、浜益で養殖ホタテの漁業も経験。
そして、葉たばこのバイトに行った時に、農家の息子である現在の夫と知り合い、結婚して、今では農業が暮らしの一部となっている。

ここからは、そんな島の農業で人生観を変えられた私が、感じたことや魅力をお伝えしたい。理由はひとつ、未来を担う若手農家が増えて欲しいから。

若手農家の強みは「島全体で応援してもらえる」

実際に農業をするようになって驚いたことは、島全体で若手農家を応援してもらえること。

成長するじゃがいもを見て喜ぶ夫

夫は、農業を始めて5年目、26歳の若手農家。「農家の息子」と書いたが、葉たばこ農家である両親を継がず、新規就農者としてその道に踏み出した。国の支援制度も活用し、行政や地域から早く経営が軌道に乗るように協力や支援をいただいている。

もちろん公的な支援だけじゃない。たとえば、若手農家同士のつながり。夫が所属する知名町4Hクラブ(農業青年クラブ)という団体は、農業を盛り上げることを念頭に、地域のイベントへ積極的に参加し、また自分たちでもイベント開催に取り組んでいる。

とくに昨年はマンゴー農家にとって大変な年だった。書き入れ時である出荷時期に台風で船が止まり、マンゴー農家が島外に出せない日が続いた。そこで島内で販売イベントを開くなど、困ったときはお互い様の精神で助け合う。余談だが、今年度から夫が会長をしている。

バレンタインデーに沖永良部産の花束を女性にプレゼントする、知名町4Hクラブ

農家仲間はもちろんのこと、島は「若者が、若い夫婦が農業をしている」というだけで応援しようという姿勢を感じる。たとえば、ある卸売業の社長はよくアドバイスをくれ、夫に「農業を手伝う嫁は絶対に大事にしろよ」「若い夫婦が農業を頑張ることがうれしい」と言っていつも応援してくれる。字(集落)のおじちゃんや通りすがりの知らない人までも。

兼業農家を含めて農家が多いからこそ、みんなが何かしらのアドバイスができ、農業全体に若い担い手が少なくなっているからこそ、応援したいと思ってくれるのではないか。

私にとってこの環境はとても恵まれていることだと思う。若者が都会で起業する時に、こんなに応援や支援を受けられるだろうか。正直、夫が島出身であるところは大きく、移住者も同じようにサポートが受けられると言えないが、島の若者にはぜひ農業をおすすめしたい。

では、そんな農業とはどんな仕事なのか?育てるものによっても違うが、私のケースを話したい。きっと、想像していたものと違うところもあるはずだ。

意外と活きた前職経験!農業に必要なのは体力だけじゃない

農業といえば、体力が必要というイメージがあるのではないか。私自身、そう考えていたので、今までの仕事での経験は活かせないだろうと思っていた。

もちろん、それらは必要だが、いざ始めてみると「前職での経験は農家に嫁ぐための過程だったのでは!?」と思うぐらい、前職のスキルがとても役に立っている。事務能力、時間管理、スケジュール管理、課題解決思考など、いずれも農業においても生かされる。

理想の農家になるための戦略など、すべてパソコンで管理

沖永良部島は働き者が多く、毎日畑に行く農家も多い。もちろん生きている野菜を相手に仕事をしているので大切なことかもしれないが、仕事として利益を出すことも大切だ。体力も必要だが、改善できるところはたくさんあり、その点で前職経験での「現状を把握して、課題を見つけ、対策を考えて行動し、結果からまた課題を見つける」といった考えが生きた。

また、昔と違ってネットで直接販売できるため、農家こそ高い営業スキルが必要だ。どれだけ熱い想いを持って、おいしい野菜を育てていたとしても、言葉にして伝えて、お客さんに手に取ってもらえないと、せっかくの野菜に行き場がない。

試行錯誤しながらSNSに挑戦し勉強中

そこで、夫はこれまでひとつの出荷先に野菜を卸していたが、より多くの人に届くようにと考え、オリジナルのロゴマークや段ボールを作ってネット販売やふるさと納税の返礼品登録をはじめた。また同時に、じゃがいもや里芋を使ったおいしい料理とレシピも発信。

開始当初は「もっと安くした方がいいんじゃない」と後ろ向きな夫だったが、想定よりも売れたことと、何より購入してくれた方から「生産者の顔が見えるので安心」「もっと高くてもいい」とメッセージをもらったことで、自分がつくる野菜に自信を持てたようだった。

それからは夫自身も上手くいっていなかった里芋の栽培方法を成功事例にならってガラッと変えるなど、おいしい野菜をつくるためにはどうすればよいか意欲的に取り組むようになり、ネット販売は私たち夫婦の農業にとってもポジティブな影響を与えたようだった。

農業の継承も、農家という仕事を上手く言葉にして次の世代へ伝えることができなければ、魅力を感じてもらうことは難しい。SNSで情報発信をすることが当たり前の令和では、人の心を動かすことが出来る営業力や発信力を持った農家が重宝されるのではないだろうか。

だからこそ、ネットでの情報発信に慣れた若者に農業をしてほしいと思う。

失敗は宝!離島だからこそできることを考える

若手農家への手厚い支援や応援、また農業の魅力についても語ったが、私たち自身まだまだ課題だらけだ。

里芋を栽培して4年目になるが(じゃがいもは5年目)、残念なことにまだ利益にはつながっていない。良い里芋が出来たのに、収穫する時期が遅れて買取単価が低かった年もあれば、順調に進んでいたのに例年の3分の1の量しか収穫できない年もあった。

里芋栽培を、今までの栽培方法ではなく、自分達で考案した特注マルチを使った方法で挑戦

そのため、今年から今までとはまったく違う栽培方法に挑戦しているので、来年の収穫がどんな結果になるか楽しみで仕方ない。もし成功したとしても、きっとその時にはまた次の課題が出ている。完璧な仕事をしたと思っても、自然の力には勝てないからこそ農業はおもしろいと、私は思う。

与論島で地域資源を利用した土作りを学ぶ

また離島は、本土と比べると運送コストや人材確保など不利なことが多い。昔は「できない」と諦めなければいけないことも多かっただろう。しかし、時代に伴い技術や環境も変わっているので、今なら解決できることも多いはずだ。

先人の知恵や経験の積み重ねで今があるのはもちろんだが、彼らの世代からバトンを受け取った私たちが農業をアップデートしていかなければ、島の農家に未来はないだろう。

今は有機野菜を求める消費者も増えており、ネットで直接売り買いができる機会も増え、農家に求められることが変わりつつある。失敗する可能性もあるが、稼ぐ農業をするために、自分で試行錯誤しながら考えた栽培方法に挑戦することも大切だ。

新しい取り組みをしていると、心配の声も聞こえてくる。しかし、とりあえずやってみて、自分で失敗した上で学んでいくことは、永く農家を続けるために大事なことだ。結果ではなく経験値を増やすために、挑戦しつづけることで農家として成長できるだろう。

沖永良部島で百年先まで愛される農家を目指す

花農家の知人からいただいた沖永良部産グラジオラス

これだけ農業についてあれこれ書いたが、人生何が起こるか分からないので、10年後はもしかしたら農業をしていない可能性もある。でも、可能であるならば30年後も農家の嫁として豊かな自然の中で暮らしていたいと思う。

「やりたい」か「やりたくない」か、常にやりたくてワクワクするような仕事ができたら、どれだけ心豊かな人生を送れるだろうか。

最近では、じゃがいもと里芋を、自分達の家族や友達など大切な人たちに買って食べてもらう機会も増えた。食べている姿が想像できるからこそ、安心安全でおいしい野菜を作りたいという想いが強くなり、私はそこに農業のやりがいを感じることができる。

これからは、時代のニーズにあった栽培方法で、島の伝統など変えてはいけないところは守り、変えるべきところは柔軟に対応できる農家になろう。せっかく大阪から遠く離れた島に辿り着いたのだから、夫と仲良く永く愛される農家を目指して進んでいきたい。

穐田恵里

1989年大阪出身。外資系金融企業を退職後、各地で農業・漁業バイトを経験。2022年に沖永良部島の海に魅せられて移住し、畑で知り合った農家と結婚。夫と一緒に穐田農園を営む傍ら、フリーランスのwebライター・オンライン秘書として活躍。

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