しまのま
生活と文化とわたし

アマミホシゾラフグをはじめ、奄美大島にはここでしか見ることのできない生き物がたくさんいる。近年ではダイバーからの人気も高く、豊かで美しい奄美大島の海を見るために海外から訪れる人もいるほどだ。

それでも、かつてほどの美しさはなくなってしまったと言う。

「テーブルサンゴは90%くらいなくなってしまった。海藻なんて99%くらいだし、魚は激減している。保護していなかったらどうなっていたことか…」

レジャーダイビングが日本で流行り出したとき、奄美大島でも真っ先にダイビングショップを始めた迫田藤雄(さこたふじお)さんは話す。迫田さんは、まだ目に見える被害がないときから危機感を抱き、島の海を守るために瀬戸内町海を守る会(以下、海を守る会)を立ち上げた。

代表が次世代に引き継がれ、思いのバトンが繋がった海を守る会。これまでの活動とこれから取り組むことを、迫田さんと現代表の祝隆之(いわいたかゆき)さんに聞いた。

頭を下げ続けた3年間

「2、3歳くらいのときかな。戦後は家に風呂がなくてね。海が風呂がわりだった。ずっとこの海と共に育ってきたよ。」

迫田さんがダイビングショップを始めたのは昭和49年。40歳くらいのときだった。それまでも海に潜って魚を獲るなど、海に関わる仕事をしてきた。当時はちょうどオイルショックがあり、島の主要産業である大島紬が低迷し始めたころだ。漁師になる人が増え、300人以上の漁師がいた。

知り合いからレジャーダイビングが流行っていると聞き、ダイビングショップを始めた。迫田さんがショップを始めたのを皮切りに、続々とダイビングショップが増えていった。

ダイビングショップを始めて5年。瀬戸内町にもダイビングショップが5つできた。それぞれの船がお客さんを連れてダイビングポイントに行き、船を停めるためにアンカーを下ろす。それを一日に何度もやる。アンカーを下ろすたびに、サンゴが削られていく。

「瀬戸内の海がなくなる。」

迫田さんは何か策はないかと考えた。ダイビングポイントに係留ブイを設置することを思いついた。アンカーを下ろさず、係留ブイを使って船を停めるようにすればサンゴへの被害が少なくなるのではないか。

さっそく漁協に相談したが、「ありえない。」と一蹴された。係留ブイをつけると船を周辺に停めることができなくなる。今まで通りの仕事ができなくなることを危惧し、漁師は誰も賛同しなかった。

漁協の理事の家に行き、直接頭を下げ続ける日々が3年続いた。進展したのは直接組合長と話したときのこと。3時間くらい話をし、何かあればすぐに撤去することを条件に許可をもらった。

8箇所の係留ブイを設置した。組合長の許可をもらっていたので、以後反対する人は現れなかった。係留ブイでサンゴが守られるのはもちろん、ダイビングをする人にとっても安全性が増した。波の影響で船が流されてしまうことがなくなったからだ。

大島海峡を往来する船にとっても良いことがあった。ダイビング船が停泊している船の場所が分かるので、あらかじめ避けて航路を決めることができ事故を防ぐことにつながった。

最初は8箇所の係留ブイは、現在24箇所にまで増えた。

ボランティアで活動を続けた海を守る会

係留ブイの設置以外にもさまざまな活動をしてきた。

まずは海底清掃。今でこそ海にゴミを捨てることは問題視されているが、平成のはじめのころは当たり前のように海にゴミを捨てていた。

海底にはオートバイ、自転車、タイヤなど今では考えられないようなものが沈んでいた。きれいな海を期待して奄美大島に来た人が海に潜って目にしたのが大量のゴミだったらどうだろう。迫田さんは5年間、ボランティアで海に潜り海底清掃をした。

平成9年は台風が来なかった。海にとって台風が来ないことは大きな問題だ。海水温度が下がらず、サンゴの白化現象の原因になる。この年は多くのサンゴが白化してしまった。

翌年にはサンゴを食べてしまうオニヒトデが大量発生した。駆除しなければサンゴが減ってしまうが、あまりにも広範囲で発生し、すべてを守ることは難しかった。せめて1箇所だけでも、と考え加計呂麻島の安脚場の海を守ることに決めた。

「駆除が大変だった。ガスコンロでお湯を沸かして死滅させて、ビーチに穴を掘って駆除する。それを1年半やり続けた。ボランティアで参加してくれる人にはコーヒーとかカップ麺も振る舞うから。それも全部自分の持ち出しでやっていた。」

少なくなってしまったサンゴが順調に復活しているか確認するためにリーフチェックも始めた。同じころ、与論島でリーフチェックを始めていることを新聞で見て取り入れた。少ない予算でやりくりをし、学者を招いて調査をした。

迫田さんの数々の取り組みは海上保安庁にも認められ、感謝状が授与された。

先輩からのバトンを後世に繋げる

迫田さんは現在85歳。バトンは次の世代へと引き継がれた。現在代表の祝さんは現在30歳。海を守る会の中でも最年少だ。

「みんな先輩だから逆にやりやすいです。ぼくがお願いしたことはみんな快く引き受けてくれるし、一番若いので自分が一番動かないとな、と思っています。先輩たちに助けられていますね。」

引き受けてみると、思った以上にやることが多くて大変だった。しかも2020年には新型コロナウィルスの流行。海を守る会の会員は瀬戸内町のダイビングショップなので、観光客が減り大打撃を受けた。

会員や役場と協力し、海底清掃の事業で国から予算をもらうことができた。海を守る会の人たちに海底清掃を依頼し、人件費としてお金を支払うことができる。海にとっても会員にとっても助かる事業になった。

「予算が取れたのは、先輩たちがずっと活動してきてくれたからだと思います。その実績の積み重ねが今回の予算に繋がった。」

次は藻場の再生に取り組んでいる。サンゴは増えているのが確認されているが、海藻は増えていない。人間が手を加えることで藻場が再生されれば、魚たちにとっての食料や住処が増え、より豊かな海になるだろう。

現在、海を守る会には17事業者が加入している。奄美大島に来たら、ダイビングやシュノーケリングを通じて、地元の人たちが守り抜いてきた美しい海の世界を楽しんでみてはいかがだろうか。

田中良洋

兵庫県出身。東京で6年間働くが、都会に疲れて2017年1月に奄美大島に移住。島ではWebライター、映像制作、ドローン撮影、マリンショップのスタッフ、予備校スタッフなど様々な仕事をしている。島生活のことを綴ったブログやSNS「離島ぐらし」を運営中。

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