しまのま
生活と文化とわたし

奄美大島を巡っていると、海に面した集落で、浜のすぐ先に大きな岩のような小島があることに気が付いたことはないでしょうか。

集落の目の前の海にそびえる巨岩。実は、島の人にとってはこれは「ただの岩」ではありません。
暮らしのなかで「神」の存在を身近に置く奄美大島において、この岩は「立神」と呼ばれる信仰の対象。海のかなたからやってくる神様が立ち寄る場所として、また海上の安全祈願の対象として、古くから大切にされてきました。

すべての集落の海に立神があるわけではないので、立神を保有する集落にとって、それは「シマ(集落)の自慢」でもあります。子どもたちの遊び場となることもあり、島の人たちにとって親しみ深い存在なのです。

奄美の文化を知る上でも興味深い立神について、地元の生活と立神との関わりなどを、奄美博物館の久(ひさし) 伸博さん(奄美市教育委員会 文化財課長)にお聞きしました。

奄美大島の立神って何?

神様が立ち寄る「立神」

立神とは、奄美大島の海岸から少し沖で、海の中にデンッとそびえる立派な岩や小島のことです。
奄美大島や加計呂麻島の周辺には、有名なものだけでも約15もの立神があります。

奄美大島は、海のかなたの「ネリヤカナヤ」(沖縄ではニライカナイとも呼ばれます)からやってきた神様によって作られたという伝説があり、現在も海から豊穣の神様がやってくるとされています。

立神は、その豊穣をもたらしてくれる神様たちが島に上陸する前に最初に立ち寄る神聖な場所として、古くから信仰の対象となってきました。

神様たちは立神に立ち寄ったあと、各集落の上陸地から神道を通り、集落の神事が行われる場「トネヤ」でお迎えの祈りを受けて「ミャー」と呼ばれる広場へ移動します。

奄美では海からだけでなく天からも山からも神様がやって来るとされており、「ミャー」ではさまざまな神々と集落の人たちが、一緒に豊年祭(ほうねんさい)などのお祭りを楽しんだりするそうです。

「トネヤ」での「神祭り」の様子(奄美博物館展示資料)

立神の呼び方はさまざま!

立神は、時代によってその名称が変化してきたそうです。

そもそも「立神」とは、薩摩藩からもたらされた呼び方ではないか、と久さん。

「奄美大島が薩摩藩に支配される以前の資料には、現在の立神がある位置に『トビラ』や『トンバラ』という記述が見られます。」

現在、奄美大島の周辺にある立神は、節田(せった)集落の「節田立神」のように、集落の名前とセットで呼ばれることが多いです。
しかし、住用地区の市(いち)集落の「トビラ島」など、立神と同様の役割を果たすのに立神の名称で呼ばれていないものもあります。

「薩摩藩によって立神という名称が当てはめられ現在に至っていますが、それ以前は『トビラ』のように別の名称で呼ばれていたのでしょう。
『トビラ』は『入り口』『開く場所』などといった意味合いですね。

奄美大島は昔から琉球王国や中国、薩摩藩など、さまざまな文化が入ってきていました。
立神もその時代や集落によって、それぞれに異なる呼び方をされてきたのでしょう。」

立神にまつわる伝承はあの番組にもつながりが!?

久さんはこんな興味深いお話もしてくださいました。

「立神など、奄美大島周辺の小島には伝説も多く残っています。
例えば、喜界島の神様と住用の市集落にあるトビラ島の神様が引っ張りあって勝負をした際、トビラ島の神様が勝ったから、喜界島が市集落のほうへ引っ張られて近付いてきた、など…。
こういった「島を動かす」という神々同士の伝承は、NHKテレビでも放送されていた『ひょっこりひょうたん島』のベースにもなっているんですよ」

私も小さいころテレビにかじりついて見ていた『ひょっこりひょうたん島』と立神が、こんなところで繋がっていたとは…!

立神の存在が一気に身近に感じられました。

節田立神に行ってみた

久さんにお話を伺ってから、実際に立神へ足を運んでみました。
行ったのは、奄美市笠利町にある節田集落。
たくさんある立神の中でも大きくて迫力がある「節田立神」です。

夕方の早い時間に行ってみたのですが、立神が見える砂浜でのんびりしている人たちの姿がありました。

ウクレレのような小さな弦楽器を練習する人や、散歩をしている人、砂浜の石に腰かけて立神を眺めている人も。
それぞれが思い思いの時間を過ごしていて、とても心地よい空間だと感じました。

刻々と色を変える夕焼けの空を眺めながら、穏やかな波の音と共に。
ゆったりとした空気の中で、一日の終わりを楽しむ、そんな時間の過ごし方ができる場所でした。

ちなみに、節田立神は干潮時には足元を濡らさずに立神まで歩いていくことができます。
近くで見る立神は、さらに迫力たっぷりで見ごたえがありますよ!

立神と島の生活との関わり

立神は、海からやって来る神様たちが立ち寄る場所としてだけではなく、島の集落の人々にとっても大切な役割を果たしています。

立神の周りには岩礁(がんしょう)があり、波が打ち寄せるため、舟はあまり近寄りません。
しかし、漁師さんが広い海で目印にしたり、旅立ちの際には旅の安全を祈願し、帰村すると無事の帰りを感謝して祈るなど、海上での道しるべや安全祈願の対象になってきました。

現在も、「内地から帰る飛行機の中から島を見下ろして立神が見えた時、あぁ島に帰ってきたんだな、と安心する」という声をたくさん耳にします。

また、少し前までは毎朝立神を拝みに来る人もいたそうです。
立神は各集落の沿岸、つまり舟が出る場所の近くにあるため、内地に旅立つ人を見送り別れる特別な場所でもありました。
立神に祈ることは、遠く旅立った子どもや兄弟の安全を祈るという意味もあったのではないでしょうか、と久さんが教えてくれました。

節田立神のように歩いても行ける立神は、集落の子どもたちの遊び場にもなります。
上に登ったり、周りを泳いだり、釣りをしたり。
身近な存在として親しまれていて、自分の集落の立神に愛着があるという人もとても多いんです。

立神の前の砂浜にはヤドカリもたくさん!

立神の周りには穏やかな時間が流れ、近くで見るとなんとなく気持ちがシャンとして、どこか神聖さも感じられますよ。

神聖な場所でもあり、日常の場所としても親しまれている立神。
昔から人々の思いをたくさん受け入れてきた、奄美大島の中でも特別な場所です。

【節田立神】

奄美空港から名瀬市内へ向かって車で5分。
ガソリンスタンド「コスモ石油 奄美空港通りSS」と「レストラン OHANA」の間の道を通り、集落を抜けて海岸へ。
海岸近くに車を3~4台ほど停められるスペースがあります。

藤原 志帆

大阪出身、26歳で奄美大島へIターン。大学在学中はチリ、スペイン、アメリカに留学し、中南米の6カ国28都市をバックパッカーとして周遊。その後新卒で不動産広告のITベンチャー企業に就職し、トップセールスを獲得する。美しい海に憧れて奄美大島に移住してからは、フリーライター、アフリカンダンサー、ブロガー、通訳士(スペイン語・英語)、予備校、島料理屋など多方面で活動。地酒の黒糖焼酎が大のお気に入り。 奄美大島観光・生活情報ブログ「奄美大島に行こう」を運営。

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